スピリチュアルや神頼みについて思うこと

コラム

私個人のスピリチュアルや神頼みに関する感想など…
あくまでも個人的な感想なので、お目汚しになるかもしれませんがお暇つぶしに。


スピリチュアルや神頼みに思うこと

ここから書くことは単なる個人的なとりとめのない考えですのでご了承ください。



私はパワーストーンにハマった経験があったり、風水にハマったり、スピリチュアル関連のあれこれが好きな人間ではありますが、「縁結び」とか「○○神社」とか神頼み的なものにろくなものはないと思っています。

神頼みは無意味だと思っていて、「触らぬ神に祟りなし」という意識しかないのです。
むしろ神様には関わらない方がいいと思っています。
神社で神頼みしている人を見ると「よく見ず知らずの神様に無防備にお願いできるな?!」と傍からみて恐ろしさすら感じます。

もし祈るとするならば「自分自身を司る何か」や「宇宙のパワー的なもの」に対してであって「神様や偶像に対して祈る」のは違和感しかないのです。

神様なんていないと思っているけど、神様の振りをした「なにがしかの意識体」がいることは否定できないが信頼はしていないという感じに思っています。


神は存在するのか?


果たして神様は本当に実在(存在)するのでしょうか?!私には知る由もありません。


でも私は、宇宙人とか霊的なものは当たり前に信じているので、「神と名乗る存在」が居てもおかしくないな?とは思っています。
ただそれが「神様は私たちの思うような存在なのか?」と思うと怪しいと思っています。
古代地球に降りた、宇宙人を古代の人々は神と認識したのかもしれません。
都合よく神ということにしてしまおうと、自らが神だと偽った可能性もあると思っています。


神話はファンタジーなのか?



イエスキリストが実在したとか、天照大神が天皇家の先祖だとか聞いた時はびっくりしました。
小さい時から普通に神話は作り話だと思っていたので…真面目に「実在したとか世間で言われている」ということに、衝撃を受けました。

世間の人々が神話を信じているのかどうか?は分かりませんが、向きになって否定する人はいませんよね。

神話や昔話に関して世間は寛容で、ロマンとして受け入れていますよね。
「個人の好みに委ねましょう」という感じになっていると思います。

日本の仏教や神道は、イスラム教のように厳しい戒律がないので、ふわふわしたファンタジーとして扱えられるのがいいですよね。

サンタクロースはいないんだ!とムキになって否定する野暮な大人がいないのと一緒で、「ロマンを味わうという遊び」を楽しんでいるのだと思います。

誰かが科学的に証明しようと思ったら、ムキになって否定する人たちが出てくるかもしれませんが、サンタさんみたいに、信じることで救われるファンタジーとしてとどまれるから、うやむやのままでロマンを保てているのかなと思います。

日本の場合は、神様が天皇家の先祖というロマンを受け入れていることで、いい意味で、国民が無自覚のまま、無宗教にもかかわらず神様がいるということを無自覚に信じている、珍しい国なのではないかな?と思いました。


神社は選んだ方がいいかもしれません



神社には、天照大御神系、大国主命系、稲荷系、故人を祀ったものなど様々な神様の種類があるけど、区別せずにお参りに行く人が多いと思います。
もはや、何の神様なのかも、由来も知らずにお参りしている人もいると思います。
逆に無宗教で神を信じていないからこそ、何も考えずに気軽にお参りしている人もいるのではないかなと思います。
その上、神は信じていないのに「神頼みをするというオプションは無邪気に楽しめる」そんなゆるさが日本人にはあると思います。
おまじないの延長みたいな感じでしょうかね。


私自身は、お参りするときは「世界平和」しか祈りませんし、ひねくれものなので、正直なところ「神様がいるならもっと神様同士で連携して、まともな世界にしてくれよ!」と、上層部がアホなせいでうまく回っていない会社に翻弄される社員みたいな気持ちになってしまうのです…。

そもそも神様がいたとしても、世界を平和にしようなんて思っていなくて、人間と同じく自分の利益やそれぞれの思い込みで動いてるのではないか?と思っています。


「お参りする時は、住所と名前を心の中で言いましょう」なんて、テレビで言っていたりしますが、お門違いな感じがします。
そこまでアピールして叶えて貰ったとして、どうやって見返りを払うつもりなのか?と思ってしまいます。

神様だからって無条件に叶えてもらえるって思えるのが凄い!と思ってしまいます。
もちろんしっかりと心得て、お礼参りを欠かさないような人は神様も見守ってくれているように思います。
しかし、大抵の人は冷やかし程度にお参りしてしまうのではないか?と思います。

そして、神様に願いを叶える力があるのならば尚更、やたらと関わらない方がいいと思っています。「触らぬ神に祟りなし」です。


私は神社に関しては容易に関わらないようにしています。
ネットの情報の受け売りですが…、
特に稲荷系の神社や祠には関わらない方がいいみたいです。
私は間違って稲荷神社に入らないように気をつけています。

神様とのご縁は人それぞれで一概には言えませんが、お稲荷様にはお願い事はしない方がいいと思っています。お礼をしないとたたられる可能性があるなんてくわばらくわばら・・。


あと、暗い雰囲気の神社、管理者のいない荒れた神社、夕方以降の神社は逆に悪いものが集まっているので入らない方がいいみたいですよ。(※ネットの情報)

私は神社に詳しくはないのですが、確かに暗い神社や、夜の神社はいい感じがしませんよね。
非常に怖がりなのでそもそも入りたくないですけども…😅



古いものは無条件にありがたみが増す!


書物や神社仏閣は古くなるとありがたみが増すという感覚がありますよね。
お地蔵様とかもそう。
去年できたお地蔵様とか、神社等があったとして、何かが宿っているという感じがしないですよね。
歴史があって初めてありがたみを感じるというか…。


歴史上の偉人の伝説や神話に関しても、伝説として残っているから、ちょっとすごそうな人たちに思えるけど、「すごそうに書いているだけじゃないのか?」と思っています。
陰陽師の安倍晴明なんて自意識が強くて、意図的に自分がいかにもすごい人物というような書物を残していたなんて話もありますし。

そして、古いものや伝承は否定しづらいものだと思います。
今喋った人の言葉は簡単に否定できるけど、1000年前の言葉は何か重みを感じますよね。
壁に書いたくだらない落書きも、1000年経つと遺跡になってありがたいものになってしまうかもしれません。古めかしいだけで何故かありがたいと感じてしまうんですよ。

古い書物に書かれている内容なんて、事実を確認する術がないので、言ったもん勝ちなんですよね。



頑なに守られ続ける伝承は厄介だ!


伝統や言い伝えは、偽りであってもそれを破って罰が当たるのが怖いから受け継がれてきたものが多いのでは?と思います。
私だって罰が当たるのは怖いですから、関わらないために禁忌を侵さないようにしますよ!

自分が人柱になって噓だと証明してやろう!と言う人は中々いないし、実際にやってみて、たまたま不幸があったらほら見たことか!と、ますます受け継がれて行くのだと思います。
10回大丈夫でも、1回ダメだったならば、やっぱりダメだった!と証明されてしまうんですよね。
あの人が大丈夫だったから噓だった!とはなかなかならないんですよね。

守るべき内容が「簡単な決まり」というのも受け継がれる条件かな?と思います。
舌を切らないと、命がなくなるぞ!と言われたら、舌を切る方がリスクが高いから、切らないで済む方にかけますからね…。


でも、実際に生贄なんていう風習もあったから、恐れというのは怖いですよね。
それが今残っていないのは、やっぱりリスクが高いからやめよう!とみんなの考えがどこかで一致したから終われたんだろうな?と思います。


面倒な風習を最初にやり始めた人に文句を言いたいです!


誰かが勝手に始めたことが何百年経っても風習として残ってしまうなんて厄介ですよね。
あなたのせいで後の世に厄介な風習が残ってしまったんだよ、今すぐやめてくれ!と、タイムスリップして当人に文句を言いたいですよ。


言い伝えや伝承は、誰が言ったのかを知っている当時の人は信じていなかったかもしれません。
しかし、時が経って誰が言い出したのかも不明な言い伝えになると、完全に独り歩きして、否定するのが怖い状態になるんですよ。


嫌われたくないから、受け継がれる不必要なマナーたち


誰が言ったかもわからないのに浸透してきたもの(伝承)の中には、日本特有のマナーがありますね。

誰が決めたのかわからないのに、お札は二枚はダメとか縁起が悪いからこうしようだとか、あーだこーだと昔の人が気まぐれや、良かれと思ってやりだしたことが形式的に受け継がれてしまっているのが、冠婚葬祭のマナーだったりするんでしょうね。
最低限の礼儀はある程度は受け継がれてもいいとは思いますけど…。


「おちょこの注ぎ口を逆にして…」なんてちゃんちゃら可笑しいものでさえ今に伝わっているのが滑稽です。
しかし流石に可笑しいと気づいたものは誰もやらなくなるんですよね。
伝承にも賛同者が多数いないと成立しないというのも面白いですね。

私は無意味な慣習はめんどくさいのですべて消えてしまえばいいのに!と思っています。

マナー違反だと言われるのが怖くて、専門家以外は誰も知らないマナーをわざわざ調べるのも面白いですよね。いまや周りの人も正解を知らないのに…。

相手もマナーを知らないと意味がないんだから、調べないとわからないマナーなんてみんなで気にすることをやめて忘れてしまえばいいのに!と思います。
要らないマナーは無視して、嫌われる勇気みたいなものを持つのも必要だと思ったりします。

もしも有名なマナー講師がこれが正解です!と噓を言ってそれをみんなが信じればそれが正解になるんじゃないかと思うんですよ。いっそこんなマナーはなくなりました!って噓を伝えてくれないかな!って思ったりします。

それでも自分は好印象を持たれたいから、敢えてマナーを求めるという人が一定数いるんだろうな…。ああ、めんどくさい!!

周りに嫌われたくないという些細な「恐れ」でさえ、ここまで伝承を繋いできたと思うと、「恐れ」って怖い!と思います。


ましてや、宗教の戒律、破ったら地獄に行くなんて言われていたら?
より強固に守られ続けていくんだろうと思います。

そういう意味では、宗教の戒律しきたりなんていうのは本当に厄介なものですよね。
昔の人が気まぐれで作ったものであっても、何千年も縛られ続けてしまうんですから恐ろしいと思います。


宗教戦争や理不尽な戒律に関して


ずっと守ってきたことを破るのって怖いですよね。
誰かが気まぐれに、あるいは人を支配するために意図的に作られた理不尽な宗教の戒律
そんなものを守るために人々が、不幸になり、幸せを制限されていたり、殺されていたりするんですよ。
レイプされた少女が純潔を汚したという理由で被害者なのに死刑になったり、神か?悪魔か?なんて考えることを放棄して、もはや決まりさえ守ればどちらでもいいという感じですよね。
(「宗教を言い訳に男や権力者がやりたい放題しているだけ」と言った方がいいかもしれませんが…。)
間違っていると大多数の人が思っていてもそれを変えるのは、難しいんですよね。

宗教に限らずですが、前向きな破壊をするのって大変だと思います。
一番怖いのは保守的な人たちだと思います。

「決まり」というだけで考えることを放棄することが争いに繋がるんだと思います。

そもそも神なんているのかどうかも考えることが許されない、逆らえば殺されるような世界で育つのは操り人形です。
宗教って、浸透さえしてしまえばいとも簡単に人を大量にコントロールできるんです。恐ろしいですよね。


なんか暗い話になってしまいました…😅


無宗教なのに神様を信じる日本人の不思議


私は常々思っていたのですが、日本には仏教や神道という宗教が浸透してはいるものの、宗教に無関心な人が多いように見えます。
しかし、神社に行ったら当たり前にお参りするという信心深いところがあるよな?って不思議に思います。

本気で神様がいるって思っていない人でも、「神社には神様がいる」んだろうと漠然とですが素直に信じてお参りしますよね。
まあ、占いみたいに都合のいい時だけ信じるお手軽な神様ですけど…。


ちなみに、天皇家が天照大御神の末裔だとか?(よくわからないけど)神格化をしていて、神事を年中やっているというのを私が知って驚いたのは、わりと最近のことです。


神事を止めたらどうなるんだろう?と怖くなったり、神様が先祖とかみんなは本気で信じてるの?とか思ったり…。
凄いですよね?神様がご先祖様なんですか?!そもそも神様って何?
意識体?宇宙人?


謎おおき世界です…。


そして、理屈じゃない感情の部分で、なんだか最近の愛子様を見ているとホントに神々しくてやっぱり神様が付いてるだろう?!皇位継承しちゃおうよ!って、感じざる負えない瞬間を見たりとか、なんだかわかんないが信じたくなる何か(敬う気持ち)が湧いてきたりするんですよ。

もう愛子様が皇位継承して女性天皇になっちゃう時代かもね!なんて思わざるを得ません…。
別に天皇家を本気で敬ってはいないんだけど、愛子様にはオーラを感じてしまいます!!
(単純に輝いちゃうお年頃なだけかもしれませんが…😅)

そういう(敬う)感覚は自分でも不思議に思います…。


自然崇拝が身についている日本人ならではの柔軟性


日本人は宗教に関心がないのに、神様を素直に信じるというのは、日本人は昔から、農耕民族だったおかげか、形の無い物(太陽や自然そのもの)に感謝や畏敬を持って生きてきたので、空に祈ったり、山に神様を感じたりと、自然と祈って来たから神様に祈ることにも抵抗がないのかな?って思いました。

輪廻転生やご先祖様や守護霊を普通に信じている人が多いし、宗教観がちょうどいい薄さでなんとなく浸透している所があって、そういうこだわり過ぎない素直なところは日本人のいいところだと思います。

昔テレビで「オカルト否定派VS肯定派」の企画で討論していたような、霊現象否定派の人でさえも、おそらくはご先祖様、故人の魂に対しては敬意を払って供養しているのではないか?と思います。
そういうふんわりした宗教観が好きです。

薄~く広く、受け入れ上手な日本人っぽい感じがします。

中国から伝わってきた漢字を受け入れつつも、漢字を簡単に作り変えて、もっと簡単なひらがなを作ってさらに使い易く改良して、カタカナを使って外国語にも対応して、臨機応変に違和感を少なくするために改良できるようなところとか、薄~く広く、受け入れ上手な日本人の感覚が好きです。
「拘らない」ということは、他を否定しない平和的な性質なんだと思います。


何でもうっすらと受け入れるんですよ…、ってなに言ってんだろうか私は…。


最後までお読み頂いた物好きな方がいるかはわかりませんが😅
お読みいただき、ありがとうございました。




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